最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

文明と文明の衝突

ハリウッド映画の日本の描写シーンの出来の悪さは日本人からすると異常だ。

ゴジラですらなんだこれという感じである。

アメリカでそうなのだからヨーロッパなどはアジアについてもっと知らないはずだ。

おそらく大衆レベルでは中国と韓国と日本の違いはほとんど分からないだろう。

日本が彼らのことを知り過ぎていることを肝に銘じておかないといけない。

 

白人の身勝手さは世界史でよく学んでいる。

フランス革命あたりでも実際は拝金主義者たちの社会進出である。

個人を邪魔する各種団体を打ち破るという意味では国王も役に立ったが、個人の経済的自由にとってやはり国王は敵であったというオチである。

いろいろ理想的願望が込められた市民革命であるが、嘘も多い。

ただ、それでもその荒ぶった我欲にまみれた個人の自由でさえも、様々捨象して洗練していくとみえてくる個人の人格の自律という部分にについては普遍的な価値があるのであって、日本の現代の新進気鋭の学者は伝統的な自然法論に代わってその人格という部分に焦点をあてることできめの細かい新しい流れを生み出そうとしている。

この方向は正しいだろうと思う。

 

私は中国共産党を批判しているし今は絶対に認めることはないが、中国の人民が民主化に成功し、尖閣に対する侵略をやめるならば、考えは変わるだろう。

アジアという文明圏は否定できないからである。

そうなってくると、最後の敵は欧米のディープステイトということになってくる。

 

もしかしたらすでに文明と文明の衝突という戦争は始まりかけているのかもしれないが、私の観察では中国共産党の存在がアジアの一体性を明らかに阻害している。

これが仕組まれたものだったとするならば、相当な知略であるといえる。

私はディープステイトと中国共産党には一定の繋がりを感じざるを得ない。