最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

神様について

以前、どこかの記事で書いたかもしれないが、密教における護法善神様というのは、人間界より一つ上の天界の存在である。

実はその天界もまた六道のひとつなのである。

私は初心の頃、これに少し驚いた記憶がある。

すなわち、神様であっても道を誤れば功徳も尽き他の世界に堕ちる可能性があるということである。

 

天界の上に声聞、縁覚、菩薩、仏の世界がある。

先の投稿で上座部の信仰に少し触れたが、声聞、縁覚という境地も相当に尊いことがこれで分かる。

やらないよりは絶対にやった方がいい。

大乗の教えが目指すのは、その上の菩薩の世界である。

 

こうしてみると、天界にお住まいになられる神々もまた仏の世界を目指しておられるということになる。

とはいえ、護法善神様を身勝手に身近な存在として軽々しく接してはいけない。

人間以上に汚れをお嫌いになられるからである。

しかし、真剣に仏の道を目指すものに対しては惜しみなく力を貸して下さるのも護法善神様である。

その意味では最も身近な存在といえる。

まだ神様に自分の願い事やご利益をお願いしたいですか?

もう理解していただけたと思いますが、神様は自分に近い存在から救ってくださいます。

これが信仰の秘訣でしょう。

 

私は護法善神様の功徳を体験としてよく知っています。

性エネルギー昇華の実践も神々の加護なくしては成功しないでしょう。

 

さて、最後に少し脱線を。

この密教の世界観をキリスト教にあてはめると少し見え方が変わるはずである。

キリスト教の神様が天界の神様ということになればキリスト教の世界は極めて限定的ということがいえると思う。

どうなのであろうか。

かつて年配の方でこの点をはっきり指摘した方もいた。

私としては善意に解釈して、キリスト教の神様というのは仏教の因果応報の摂理との位置づけとしたいが、これは私の勝手な解釈に過ぎない。