在家でも八斎戒がある。
それを長期化して長斎とする方もいるとのこと。
いずれにしても自主的に行っているもので、これは個人のものだ。
食の節制が整えば、性の節制は過酷ではなくなる。
性が乱れる(自利)と定(利他)も乱れる。
ただ、自分の調子を整えるのは、利他行のため。
乱れていても歯を食いしばって人に親切に出来るならば、ほとんど問題はない。
二日酔いでも仕事ができればなんとか給料はもらえるのと同じだ。
しかし、それが続くとなれば、あまりにも苦しいだろう。
だから、定を乱す行為はなるべくしない方がいいということだ。
以上見た通り、食の節制は要だと思う。
そしてそれがオートファジーと関連付けられそうだ。
今日一日精一杯明るく生きよう。
利他の精神で無願三昧の境地で実践していくことが幸福の本体だ。
自分が幸せになったら人を幸せにしていこうというのでは、道を踏み外す。
その考えには幸せについての誤解があるからだ。
地位や名誉や財産というのは、神仏からみれば、あってもなくてもいいもの。
神仏に救われたいならば、神仏に寄り添っていくしかない。
今自分が世間的にみて幸せではないとしても、他の幸福に尽くす。
このブログでは、そういう成功体験を共有したい。