最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

善神と邪神の戦が始まっている

仏教でいうところの神様は六道のうちにあり人間界より一つ上の世界の存在である。

ここは大きなポイントである。

ひとつは、神といっても邪神もあるということ。

もうひとつは、餓鬼の中にあっても有財餓鬼や有徳餓鬼のようにかなり力をもった存在もありまた神のように衆生に祭られていることもあるということ、である。

したがって、善神と誤信するパターンは2つあるということである。

 

神様を使い走りさせるような祈り方は絶対にしてはいけないことは前に書いたが、今回の投稿でその意味がさらに深まるだろう。

ひとつは邪神に願いことをしてしまうパターン。

もうひとつは餓鬼に願いことをしてしまうパターンである。

以上、最悪の結果をもたらすことは論をまたずである。

 

霊感だけに頼ることの難しさはそういうところにもあるから、きちんとした指導者につくことも大事であるが、まずは仏教の本質が因果の理法にあることをしっかり肝に銘じることが最も大切である。

また教団と霊団というものも関係してくる。

霊能だけは威力が凄まじい分だけに焦っていはいけない。

護法善神様のご加護を受けるためには戒定慧を聖なるものにしていく必要があるが、宗教上の行に頼るよりも結局のところは身近な思いやりのある行動が最上である。

 

もう少し深めておこう。

このブログをはじめた当初から、節制し性エネルギー昇華をしている悪人があることの指摘はしてきた。

これはつまり、邪神に帰依した者があるということである。

これはこれで相当な力を発揮するのである。

本当の敵がどこにあるのか少しはみえてきたのではないだろうか。

 

菩薩道は邪神を打ち破る生き方である。

お経に書いていることはその道なのである。

そして、その道を歩む者をご守護してくださる存在が護法善神様なのである。

自分の修行が何のためにあるのかよく理解しておくことが大事である。

威力というものに括目してしまって邪神に媚びを売るようなことだけは絶対にしてはいけない。

人々が金持ちなどによくやっている凄い!というやつである。

 

涅槃原理というものを精確に理解することが第一歩である。

そのためにはまず他者のことを先にして自分のことを後にする利他行の本質をよく体得していくことだ。

ごまかしがきかない厳しい世界であるが、光の勢力に加勢するためにはその行を通していくしか道はないのである。