最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

近況

毎日、命を使い切って生きているという感覚を大事にしている。

子供中心に近い生活ではあるけれども、それはそれで幸せだ。

とはいえ、それでも己自身の火も燃やしている。

寸暇を惜しんでという言葉がぴったりくるが、どんなに小さなことでも達成したことによろこびをもっていく。

自分自身の人生を見失っては後悔のもとになるからだ。

この手のことを私は実際の生活では人に語ることはない。

この匿名ブログだからこそ漏らす本心である。親友にもこのブログの存在はあかしていないのである。

 

うまくいかないことの対処は年々うまくなる。

そういう事態が生じることがあたりまえになってきつつあるからだろうが、人生経験からくる智慧は年輪にも依存するのだろう。

歳をとることは悪いことばかりではない。

その都度、活かせる過去は捨てずに、前向きに、諸々を組み直していく。

それで目途はつく。

普段からの学びは大切だ。

結局、地力はそういうところからついている。

いざというときにそれが最低でも2回目であることが大事なのだ。

いざというときが1回目というのはかなりきつい。首の骨をおることになるかもしれない。

本は精読も大事だ。

未知にぶつかってもここまでは理解しているというブイが頭に打ち込んであることが命綱の基礎になるからだ。

 

10月は学芸会をはじめPTAの活動も忙しかった。

おそらく最後のピークであったと思う。

私は会長としての挨拶等は一貫してすべてオリジナル書下ろしである(笑。

ネットで拾うということはしていない。

しかし、これがよかったようで、かなりの保護者から好評をいただいた。

ところで、このブログも読者の方がいるので続けている。

嘘は書いていない。

嘘を書かないために私は知り合いにこのブログの存在を伝えていない。

そのため私にとってのより詳細な現実を書いている。

好評かどうかは分からないが、よりオリジナルとなっていることは自負している。