最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

酒を飲みながら夢を語る矛盾

若者の飲酒率が低くなっているというネット記事をみた。

そうであろうと思う。

いい傾向である。

最近の若い子は極めて現実的な判断ができる。

つまらない自己顕示欲もない。

アルコールは一滴でも毒である。

この事実に端的に向き合っているだけであろう。

アルコールは自分の可能性をただ狭めるのである。

金がないことを理由を挙げる人がいるが、金がなくても買える酒ばかりがスーパーにならんでいることを忘れてはいけない。

 

 

目いっぱい仕事を頑張った後のビールの一杯。

久々にあった友人との間の語らいの始まりの一杯。

気分は高揚している。

のど越しが快感である。

分かる。

しかし、その一杯は例えるならば小早川秀秋である(笑。

のちに完全に裏切られることになる。

 

なぜ私がこのブログで酒をここまで否定するのか。

タバコの害ほどの社会的な関心がないからである。

タバコはわりと簡単にやめられる時代である。

今では社会全体のコンセンサスの後押しがあるからだ。

しかし、酒についてはまだ国税庁ですら酒税確保のために酒の購買欲向上について口を出すほどのレベルに留まっている。

これは酷い。

私は国税庁のそういう仕事は憲法25条違反だと思っている。

 

酒は本当にやめた方がいい。

たとえば、夜8時に酒を飲む。

そうればその後の時間は酔って過ごすのである。

本を読むにしても映画をみるにしても認識活動は歪んだものになる。

歪まないわけがなく、たとえば本命の試験の前日には誰しもが酒を飲まないことが酒に対する本音を証している。

さて、少しでも飲み過ぎれば、翌日の仕事に支障をきたす。

この段階で敗北は決定である。

体力ギリギリでその日の仕事を乗り越えたとしても帰宅すれば気が抜けてしまいその夜は何もせずに寝るだけということなってしまう。

そして、次の日の朝はなんとも言えない後悔とともに起床し必死に日常に戻ることからスタートしなければいけなくなる。性格が真面目な者ほど必死になるだろう。

そう、酒の害から心身が回復するまでに3日かかってしまうのである!

こんなとろいことがあるか?ということである。

3日である!

しかし、多くの人がそのとろさを常々体験しつつもそのとろさから離れる努力をしてしない。

これを豪遊といわずして何と言うべきだろうか。

 

仕事を大切に思うなら酒をやめるべきであるし、仲間に対して本音で語りたいならなおのこと酒の力を借りるべきではない。

そして何より自分自身に成し遂げたい夢や希望があるならば、時間を殺す原因にしかならない酒などは絶対に飲んではいけないのである。

酒を飲みならば夢を語る奴らをよく観察してみるといい。

豪遊しているだけでそもそもやる気がないのだ。

そういう連中とは一線を画して孤独から再スタートを切るべきだろう。

 

これからの時代は、コツコツやっていくしかないのだ。

余裕のない時代だからこそ寸暇を惜しんで努力をするための環境づくりに細心の注意を払う必要がある。

それを理解していると思われる最近の若者を見習うべきだろう。