最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

偽りの集中を排して今を掴み取る

草取りをしていると次へ次へという気持ちが強くなってくる。

自分の周囲に草がいっぱい生えていればいるほど、焦るような気持ちが出てくる。

なるほど、それはどうも人生のあり様と似ている気がした。

 

どのみち一本一本抜くしかない。

呼吸も一回一回するしかない。

 

達成は量ではない。

綺麗になったところだけをみていけばいい。

それが人の努めである。

全部やり遂げることが目的ではない。

自分自身の役割を全うすることが目的なのだ。

こう思ってはじめて急ぐことから離れることができる。

急ぐことは迷いだ。

 

今幸せでなくては生きている意味がない。

これが生命からの直観である。

迷いなく今に集中していく。

その相は厳しくも穏やかである。

一方、先へ先へと力んでいくことは一見すると集中に似ているがそれは迷いによる擬態である。

結局それは終わることがないだろう。

 

解決策はひとつ。

出来たことの質をもっと味わうべきだろう。

力点を出来なかったことにおいたことが不幸の始まりだったのだ。

それは人の分を超えることである。

非常に単純なことである。

そして、正しく今にアプローチすることができれば未来を明るくイメージできるようになる。

伸び行く生命の性と合致するからである。

 

生きているだけもありがたい。

古賢はそこまで今を追求する。

一つ一つがていねいであること、それは人格を徴表する。

究極的には呼吸であろう。