最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

七転び八起きで輪廻を断つ

体調や精神状態の不良は、これは好機でもある。

変化が必要な時ほど、である。

 

好調な時は、思考の総量が爆増する。

しかも、それを消化できていると誤信しても問題ないほどのエネルギーがある。

浮かれてしまう。

 

しかし、そういった状態も不変ではありえず、必ず落ち込みはくるのである。

 

落ち込んだ時に、誤信したところのものが自らに迫って来る。

(誤信がないならば、穏やかに道理に委ねることができるはずである。)

 

そして、そこで、反省をする。

忍耐し自然治癒を実感して健康に感謝しまた始めることになる。

 

そのように魂の鍛錬の姿は大方この通りである。

反省を活かして10の目標を立てて新たな一歩を踏み出す。

そして、9忘れて、また挫折をして振出しの付近へ戻って来る。

輪廻を繰り返しつつ、しかし少しずつ離れていく。

 

瞑想をしていると自分の心癖がみえてくる。

やはり私も課題はここにある。

健康でエネルギーがあるうちにこの心癖を見極めていくことが大切であると痛感するのだ。

もし仮に地獄というものがあるならば、この心癖に捕まるということではないだろうかと感じ始めている。

この人生で内面化してきてしまったものを総チェックしていく必要がある。

「そんなにいけないことか?」

「そこで怒ることか?」

このふたつはとくに用心したい。

 

今、私は再び好調期に入ろうとしている。

朝夕の読経に加えて2回の瞑想を開始している。

もちろん、酒は飲んでいない(存在自体を忘れているレベル)。

現在の私の目標は、会えないと思う人をゼロにすることである。

つまり、敵をゼロにすることだ。

修行の目途がついてきた。

今度こそ油断は禁物である。