本当に年齢というものは関係あるのだろうか。
老化という。
しかし、実質は、活動量を減らした結果なのではないだろうか。
たとえば、大人になってダッシュをする機会を作る人はほとんどいないだろう。
しかし、もし、大人になっても子供のようにダッシュを繰り返す習慣をもっていたならば、老化の進み方は全く違うものになるように思わざるを得ない。
勉強などでも同じだろう。
これについては私は確信を持っている。
まったく衰えを感じないし、むしろより高度に思考が合理化されていると感じる瞬間は増している。
壮年期こそ青年期のままでいるべきだろう。
未来に希望をもち新しいことに対する謙虚さを備えていた頃の年齢を思い出したい。
どうだろうか。
28歳くらいか。
自らの心に据えるべきイメージとしての年齢は、若々しさと凛々しさのバランスが大切である。
活動量を減らしてはいけない。
ここがポイントなのだろう。
病気やケガがなぜ危険なのか。
その本質は、活動量を減らすことを意味するからだ。
活動量が減れば、それに見合ったマインドセットになってしまう。
怖いことは実は死ぬことではない。
マインドセットの委縮である。
これは魂に直撃する。
歳だから動けないのではない。
動かないから歳をとったことにしているのである。
自分の考えが変わるまで動くことが大切だ。
それが真に認識を変えるということである。
達観し出したら人生終わりである。
たいてい安直な理由でそうなってしまう。