最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

戦線に復帰する

先月、不覚にもシャワーランという形になってしまった日があった。

その日の夜軽い頭痛が起きたのが事の始まり。

この軽い頭痛がけっこう尾をひいて体調がなかなか戻らなかった。

数日外出を避け用心した。

武漢コロナだったのだろうか。

発熱はなく家族で体調を崩した者はいない。

ともあれ人間の体というのは脆いものだ。

 

ゴールデンウイークは子供の相手もそこそこにじっと体調管理に励んでいた。

後半あたりでやっとジョグに出る事が出来、3日連続で走っている。

天にも感謝である。

ありがたい。

 

健康のために走るというのは、少し本質とは違うかもしれない。

ここにきてそう感じ始めている。

人生には必ず終わりがある。

そして、最後の一勝負というものが必ずあるはずなのだ。

そこで自分のすべてを出し切れるか否か。

後悔するか否かはそこにかかっていると予感せざるを得ないのである。

 

日々出来る限りのすべてを行い準備を怠らず、いつその時がきても戦えるようにしておくこと。

これが努力することの実相でなければいけない。

常に全力を出して己を削り出していけば絵空事な理想を言うことはできない。

一回一回が最初で最後。

そして限りある条件のなかで全力を出していくしかないのだ。

 

そして、その先である。

ここからが紙一重の差となる。

人は隙だらけである。

ここを認めねばいけない。

だからこそ、神々を尊び、祈りをもっていく。

人の努力の稚拙さを認めつつも祈りは物理を超えて神々の加護に値するような生き方を目指す。

最後の一勝負が神々の懐において行われるようにするためにだ。

 

命を大切にしていこう。

それは金では絶対に買えない本当の宝である。