最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

もはや望む方向には世界は進まない

何かに期待をしていく行き方はもうしない方がいいと私は思っている。

 

いろいろな法要や祈祷があった。

しかし、どの宗教も武漢コロナの蔓延自体を止めることはできなかった。

これは、もし仮に人間以上の力を持つ存在があったとしても、その存在においてもできないことはあるということだ。

私は神々の存在は否定しない。

しかし、その力はやはり有限のものであると感じている。

いつまでも無邪気にご利益信心をしていてはいけない。

目を覚まさねばいけない。

 

日本政府もやはり愚かとしか言いようがない。

日本はすでに農業に外国人を使い出しているが、在留資格の条件をまた緩和していく流れである。

農業がさらに日本人の手から離れるのである。

もう本当に終わってしまったと考えた方がいいのかもしれない。

つまるところ目先の貧困というものに敗れたのだ。

 

日本精神に亀裂が入った以上、インテリ層は弱体化する。

この先10年で戦後の人文社会科学の相当部分が破たんしていくはずである。

荒れた時代に左翼の理想から死んでいく。

学説の正当性が大学の人事の自治によって保たれていただけに過ぎなかったという仕組みが明るみになり、大学の権威は失墜するだろう。

頼るものが数字しかないという学問の暗黒時代はもうそこまで迫ってきている。

右翼の一部は暴徒と化すだろう。

 

すでに己自身に頼り切る時代である。

もう一押し言うならば、法と己自身である。

しかし、その法も玉石混交で見えにくい有様であり、身を切る修行を通して自ら本質を掴んでいくしかない。

孤独な修練である。

しかし今確実にできることとして性エネルギー昇華がある。

これは己の倫理の最大化といったような観念のことがらではない。

己の生そのものである。

その生の本質に頼り切ることで活路を見出していく以外に道はない。

外に頼れるものはもはや存在しない。