最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

憲法とは日本国憲法のことではない

シドニーパウエル弁護士の訴訟活動は、法の支配が全うされる瞬間を世界に魅せつける可能性を秘めているのでツイッターアプリをダウンロードして注視している。

多数の横暴という見地からの議論ならば、日本でも自民党圧勝のもとにある法の支配という形で民主主義との緊張関係として論じられることがあるけれども、今回のアメリカのケースは不正選挙そのものであるから法の支配が民主主義を救済するという極めて珍しい場面に立ち会える可能性がある。

彼女は法廷で堂々と憲法論を展開するのだろうけれども、とにかく楽しみである。

 

日本はどういう局面にあるだろうか。

私は率直に言って戦争準備の段階にあると思っている。

法の世界の枠に収まればそれが一番よいのではあるけれども、問題の根源が主権の外にある以上法の外にある純然たる暴力の問題として受け止めるべきだと考えている。

民間防衛という既存の概念を出発点にして出来る限りの準備を整えていきたい。

 

私はアメリカや香港、武漢コロナの問題を通して、民主主義や選挙制度がいかに自らの生存にとって大切かということを痛感している。

これはよかったことだ。

そして自立の精神と活動から読み込めない憲法はもはや憲法ではないと思うに至っている。

日本国民は目覚める時がきている。

憲法を持つということは目覚めるということなのだ。

法の支配とはその意識そのものである。