最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

ばれなければ何をやってもよいと思わせることが邪悪の本質である

世界中がばれなければ不正は存在しないというスキームの中にあるかのようだ。

政府発表によるものはもうほぼ信用できない。

これまで日本は世界の中にあってはそこそこマシな方であると国民自身が考えていた節もあるけれども、すでに世界標準化されてしまった感がある。

 

法の執行機関が腐敗しているところに中国共産党からの攻撃を受けている。

西側陣営の多くの国がそういう状況ではないだろうか。

ここぞという時に善良な民主的コントロールがきかないのだ。

これは日本も同じである。

なぜこの時期に中国との往来を開始するのか、なぜ尖閣について強い抗議が出せないのか、なぜ医療従事者を守るための武漢コロナ対策が打てないのか、政府が疑問だらけの施策を続けるのは、法の執行機関がなんらかの形で政治的腐敗の影響を受けているからに違いない。

しかし、その確たる証拠がないので、腐敗はないことになっている。

本当にこのような短絡的な評価でよいのか。

 

証拠なく語れば陰謀論と一蹴する者も多い。

しかし、まだわずかに救いがあるのは世界情勢を読み解くために必死になっているメディアや個人が存在するということである。

彼らの仕事は現代の聖業なのかもしれない。

厳しい戦いである。

主流メディアが政府や財界と結託して真実を隠蔽するための指標を出し続けている中において、その嘘を暴く作業は常に違法と背中合わせであるからだ。

悪法も法であるとされるならばなおさらである。

 

 

戦いであるから声は上げ続ける必要があるが、無駄な消耗はしてはいけない。

声をあげれば心身は傷つく。

しかし、そこは日々しっかりリカバリーしていくことだ。

日々の読経で法を口で唱えその音を耳で聴くことで激情は浄化される。

節制して心身の力を常に滋養しつつ事にあたるべきだろう。

性エネルギー昇華の実践はすでにマストの時代なのかもしれない。

目覚めている時を一分でも長くするための努力が必要である。

そして、何よりその目覚めた状態で多く稼ぎ出すことだ。

経済戦でもやはり負けてはいけない。

いよいよ日本に入って来るならばその力をむしろ利用して次に備えるのだ。

これは欲楽のために稼ぎ出すのではない。

儲けた分だけ遊ぶという低次元の経済とは決別するべきである。

 

今後しばらくは沈黙は聖なる生き方ではないだろう。

それはただの保身の祈りにしかならないと私は思う。

無様であっても声を上げることが大切であると感じる。