最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

神々すら憧れる道、それが仏法である

神道と矛盾しないのは道理であったと最近感じるのだ。

日本には全国津々浦々さまざまな神様がいる。

堂々とお参りしていけばよいと私は考えるようになっている。

仏教徒だからという理由で断る必要など全くない。

祝詞もあげればよいのだ。

 

神様とは何らかの点において人間を超えた存在である。

しかし、おそらく有限の存在ではあろう。

だからといって尊くないということではない。

 

仏の教えは、言ってみれば、尊い神々ですら憧れる道ということである。

なぜならばそれが六道を超える唯一の道であるからだ。

それは大宇宙を貫く法則そのものであってすでに満ちているものである。

あやゆる存在の基盤といってもよいかもしれない。

 

善き神々は人間の最も身近でかつ最も権威あるお手本だと想い接していくべきだろう。

 

 

法とはただ語るものではなく拙くとも途切れることのない実践からのみその一端を体得するものだ。

それによれば、黒という表現でも白と伝える事が出来る。

 

私にはもう宗派という囚われはほとんどない。

どんな宗派であろうとも、実践をしている者のみが「存在」している。

 

尊い神々と呼応できるとしたらそのような存在のみではないだろうか。

神々と同じ道に共にある。

これほど心強く喜ばしいことはない。

 

優れた師はどこでも待っていてくれる。

もし宗派というものがあるならば、師とのそのような絆の名称であろう。