最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

民間防衛としての肉体鍛錬

能書きの時代は終わった。

その論証を支えるものはその人の命の燃焼そのものでなければいけない。

ディベートなどなんの意味もない。

するだけ卑しくなるだけだろう。

 

平均すると週5くらいで草取りをしている。

一回90分から120分くらい。

だいぶスタミナがついてきた。

ここからである。

汗だくになる。土まみれになる。

しゃがみながら移動したり鍬を使ったりするので足腰の鍛錬になっている。

とくに前腕と背中に明らかに効いている。

作業で使える肉体を作るにはその作業をするしかないのだろう。

 

草取りは明らかに他の役に立っているから感謝もされる。

しかし、その先がある。

 

すでに個々が武装していく時代である。

在日米軍が去った後のことをイメージしていかねばいけない。

肉体を変えていくには4年5年かかる。

草を取るというのは手段であって私の本当の目的ではない。

私は鍬を振り下ろす時、敵を想定している。

戦場をイメージしている。

 

草取りは序盤の鍛錬である。

いずれは畑全体を鍬で耕すつもりである。

機械は使わない。

エアコンの効いたジムでは実現できないことが外にはあるのだ。

夏の一番暑い時間帯に作業することで練り上げていけるものがある。

 

敵は明らかな弱点をついてくる。

しかし、これは我々にとっても同じことである。

物質文明に現を抜かしている連中に対してすることはもう決まっている。