最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

ワクチンを不要とする生き方をすればよい

ワクチンは打つべきか。

 

もともと歓楽街に出歩いたりすることをしない人には不要である。

どのような人と普段付き合っているか。

こういうレベルからの問いかけとなる。

人は突然には変われない。

 

いろいろ聞くところによると副反応が相当強烈であるように感じる。

つまり、肉体に相当なダメージがあるということである。

打たせたいとする側は、薬害についての因果関係は切りたいに決まっている。

マイナスのエビデンスは可能な限り開示したりしないだろう。

最近は多くの人が気づくところになっているが、どの分野においても役所の法令運用には尋常ではない強かさがある。

黒でも政治的状況が許される限りギリギリまで白と言い張る。

この傾向はワクチン接種の管理においても例外ではないだろう。

公務員という世俗の人間が政治的に決断していることである。

決して確実な資料や根拠に基づいているわけではない。

拠るべき大樹などない。

他に頼ってはいけないのだ。

すべて最後は自己責任で決めねばいけない。

 

戒定慧、これに意識と行動を集中させることで、濁世から消えたように過ごすことが出来る。

私は緊急事態宣言による制限それ自体が苦しいと感じたことは一度もない。

ワクチンを打って生体バランスを崩すことの方がむしろマイナスが大きいかもしれない。

ワクチンを打つことで他者への感染が防げるならば検討する必要はあるが、そうでないならば意味はない。

 

感染者がどこまで増えるか。

怖いのは重傷者や死者の数ではない。

後遺症である。

軽傷にカテゴライズされる後遺症はよくその典型的な症状をイメージしておかねばいけない。

それは生き地獄である。

 

地球が怒り狂うなか、学問はそのエッセンスを真理に適う形で整序し直す必要に迫られている。

もうすでに人類は学問に対する過信から判断を誤りかけているが、すべてが滅ぶわけではない。

生き延びるべき人々は今間違いなくステルスモードに入っている。

そして静かに学び直しているに違いない。