最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

ささやかな幸せを大切にしよう

今日から子供が冬休みに入った。

クリスマスプレゼントはコピックという今流行のイラストマーカーのセット。

午前中は美容院に連れていき昼はマクドナルドのハッピーセットを与え途中で本屋に寄って呪術廻戦という漫画を買った。

うちの子は毎日絵ばかり描いている。

午後からは私のジョギングについてくるというのでスロージョグに切り替えておしゃべりしながら二人で一キロほど走った。

何気ない一日終えて振り返ると、これ以上の幸せはないと感じる。

性エネルギーは昇華されている。

 

ささやかにみえる幸せの中には輝く魂の自由がある。

一杯のかけそばの話に感動するのもその輝きに触れるからである。

物質ではない。

またそれは人から与えられるものではない。

しかし、今世界はその軸が明らかにずれ始めている。

これはほとんど霊的直観であるが、非常に邪悪な思念が至る所に渦巻いているのを私は感じる。

武漢コロナ禍はそのひとつの徴表でしかなく本当の悲劇はこれからジワジワやってくるに違いない。

 

敵の正体が明らかになるまでは正気を保つこと自体が目標になってくる。

正気を前提にして夢を語れるほど甘い時代ではなくなってきたかもしれない。

苦しみから保身のために他を痛める者がこれから続出する。

その理不尽な煽りを受けることで心から輝きを失う者はさらに増えるだろう。

法も道徳も倫理も当てにならない社会をイメージできるだろうか。

それは競争社会ではない。

闘争社会である。

 

鬼滅の刃がなぜ流行っているのか私は理解できる気がする。

まず正真正銘の鬼が増えているという現実である。

チラッと思い浮かべているはずである。

そして今人々は本当の正義を欲しているのだと思う。

炭治郎のような優しい青年の心や理不尽に立ち向かい責務を全うする煉獄さんのような生き方に心の奥底では憧れているのだ。

子供だけでなく大人も涙するのは、大人だからこそである。

 

鬼滅の刃のブームをみる限り世界的な不正に立ち向かうだけの霊的なエネルギーはまだまだ足りている。

私はその点は安心しているのだ。

問題はその力を善用できるか否かだろう。

来たるべき時が来るまで辛抱は続く。