最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

性エネルギーを昇華させるべき方向について

昔あるテレビ番組で、町工場で油まみれになりながら働いている父親が「家族が幸せならば自分の時間なんていらない」と語っていた。

共感した視聴者は多かったと思う。

その共感の広がりはこの世の宝といっても過言ではない。

あの父親の心境こそが利他行の基本であると私は感じる。

他の為に精一杯働く姿勢そのものが他に勇気を与える利他行である。

 

「なぜ自分だけがこのようなことをしなければならないのか」と思う心があるならば、どれだけ苦労をしようとも六道の範疇から出離することは難しい。

性エネルギー昇華の実践はこの壁を破るためにあるのかもしれない。

 

自分磨きという言葉がある。

それが菩提の向上という意味ならば正しい。

しかし、多くの人が結局のところ自己の健康や美容、事業などに終始している。

これでは永遠に六道の世界から離れることはできない。

うまくいかなければ必ず愚痴になるからだ。

世間からの評価という呪縛からも逃れられまい。

 

根本に衆生を慈しむ心を発していくことが利他行である。

この本質に立つことが出来れば何よりまず安心を得ることができるだろう。

この安心を得ることが苦難を乗り越えるための秘訣となるのだ。

 

自我に悩まされる根本は何か。

それは、迷いである。

法に依らずに迷うから「なぜ自分だけが?」という問いが生じるのだ。

人との役割分担という約束にしがみついて焦燥し、それが破らた時には悲嘆に暮れるという生き方になってしまうのだ。

 

愛する人のために精一杯生きること。

ただそれだけが安心を得る道である。

よい宗教家は我が子を思うように大衆を思っている。

この魂の向き方をしることが真実発見への第一歩である。

性エネルギーはこの方向へ昇華させていかねばいけない。