最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

日々を油断なく生きる

この戦いはマラソンのようなものだ。

気分でペースを決めれば途中で脱落する。

計器を信じ、自分を甘やかすことなくひたすらペースを守る。

それだけだ。

抜かれてもよいし抜いてもよい。

周囲の状況に一喜一憂しない。

教えに住する。

 

自分の器を拡げる精進をする。

苦しい時ほど養われる。

これがポイント練習だろう。

一方で、日々淡々となすべきことを行う。

これがジョギングだ。

修行は極端ではいけない。

その時その時の中庸である。

 

アメリカ大統領選挙の行方がどうあろうとも日本は日本である。

今のところ国内は親中派に抑えられている。

しかし、いつかチャンスは訪れる。

独裁の闇は暴かれる時が来る。

普段の練習で培った力は必ずスタミナに現れてくる。

王道のペース配分でじっくりいけばいい。

 

一歩一歩だ。

常に一つ一つ目の前の課題に立ち向かうのみだ。

そこで己の役割を全うする。

調和しても迎合してはいけない。

この強い踏み込みこそが不動心である。

地道な練習からくる経験だけが周囲のはったりを見抜いてくれる。

奇跡などは一切ない。

あるのはただ因果律のみだ。

善因善果であり悪因悪果である。

清濁併せ呑むことなどないのだ。

深い祈りだけが嘘を見破ってくれる。

道は一つである。