最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

徳積みこそが本当の保険である

子供の勉強をみているとおもしろい。

前に進むとそれまで習ったことをすっかり忘れていることがある。

九九ですらまだ危うい。

今日も4×2=6と信じていた形跡があり親として不安になった(笑。

 

しかし、御仏からみれば人間も同じようなものだろう。

私も子供のことは笑えない。

尾崎豊の歌詞の如く、あの日見つけたはずの真実とはまるで逆へと歩いてしまうようなことがよくある。

師匠に内心反発することも実はある(笑。

しかし、気持ちが収まっていろいろ見返していくうちに自分の非というものがみえてくるのだ。

ここには護法善神様のご加護があるに違いない。

とても自力とは思えぬ力を感じることがよくあるからだ。

そしていつも気付くことは、すっかり忘れてしまっていたということである。

あっ!!!というやつである。

人間は忘れやすいのだ。

感動も痛みもそこから得てきた智慧も普段から活かす精進をしなければ忘れてしまう。

 

忘れて思い出してそこからまた始める。

この繰り返しが精進の大方の実相であろう。

そして、大切なことを忘れたままにしないためには歯を食いしまって精進することも時には必要だと私は思う。

分からないけれどもとにかく踏ん張ってみる時期である。

あとになって意外に生きてくるのはそういう時の経験だったりする。

子供の勉強をみている時我が子にそんな願いを込めている自分に気付くのであった。

 

社会で暮らす人生もまた厳しい。

直面した出来事に神経を全集中しているうちに様々なことが疎かになっていく。

関わった人たちのすべてに応えられるわけでもない。

ある人からみれば私も冷淡な大衆の一人のように映っているはずである。

未熟さから押し戻されるようなこともある。

苦しさからいろいろ忘れてしまうのだ。

しかし、それでも何か一つ貫いていることがあれば、ここまで歩んできた道のりが確かに支えてくれるのである。

功徳とはこれか!!!と思う瞬間でもある。

功徳が大切なことを思い出させてくれるのだ。