武漢コロナ問題をフルマラソンで例えるならば、今だいたい5キロ通過だ。
最初に飛ばしたド素人の冷やかしメンバーがこの辺りで失速する。
10キロまでは練習無しでもなんとかなるのだが、その先は無理だろう。
慣れているランナーは最初の5キロは絶対に飛ばさない。
しっかり様子をみる。
緊急事態宣言が出てもう疲れただの鬱だの言っている連中がいるが、忍耐力がなさすぎるだろう。
はったりや嘘で飛ばすタイプは例外なくこうなる。
そういう人間は絶対に近くにおいてはいけない。
もし情から別れるかどうか悩んでいるならば速攻で別れよう。
人生の伴侶に絶対にしてはいけない。
日々の練習は30キロまでを安定して走るためにある。
残り12.5キロがチャレンジなのだ。
30キロ過ぎても足が残っていることが完走の絶対条件といってもいいだろう。
30キロ過ぎて残りの距離を意識したときに普段の練習の距離を走れば終わるんだ!という感覚になれるようにしておくのだ。
ランナーが普段の練習で10キロ程度を走っている理由はそんなところにもあると思う。
武漢コロナの問題におきかえるならば来年の今くらいがちょうど30キロ地点だろう。
かなり長期化すると思っていた方がいい。
30キロまではそれまでの練習量と計器を信じて予定したイーブンペースを守ることが基本だ。
いけそうだと思って感情的になってペースをあげてもそのツケはどこかで必ず払うことになるからだ。
私もいくつか仕事が延期しているし逆に急な依頼もあったりするが、今は焦らないことを第一に考えている。
仕事道具の手入れなど念入りにしておきたい。
とにかくこれからの一年間の過ごし方がその先を完全に規定するだろう。
その先の12.5キロをどう走り切るかだ。
未知のゾーンをどう乗り切るかということだ。
半年ほど前からこのブログを通じて教えの現場にいる者として世間に出回っていないと思われる常識をお伝えしてきているが、自分自身の修行にもさらに熱を入れていかねばいけないと最近は思うようになってきている。
すでにどのブログよりも大乗の教えの実相に迫っているとは自負してはいるものの、さらによいものにするためには私自身の器をより大きくしていくほかないからだ。
12.5キロを走り切ると、小さくガッツポーズが出る。
走り切って成長した自分がそこにある。
フルマラソンには人生の縮図のようなところがある。
この国難を乗り越えたい。