最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

道は開けているから大丈夫

今は欲を出すべき時ではない。

じっとしている時。

これは感染を恐れてということではない。

自粛とも違う。

世間全体の気脈が荒れているのを感じられるからだ。

こういう時に出て行くと思わぬ思念を受けて足元からすくわれやすい。

感情で動くから失敗するのだ。

 

朝起きてまず命に感謝、そしてその気持ちのまま仏壇にお水を供えて、読経する。

その後に、布団をなおし、朝の支度をし、掃除を行う。

まずこの流れを是非自分のものにして欲しい。

これが性エネルギー昇華の一つの型である。

先に神仏があってあとから自分のことを行う(自分のことも手を抜かない)。

やってみると分かるが、なかなか最初は難しいはずだ。

いかに自分中心で世界を見てしまっているか分かるだろう。

 

不安になる必要はない。

私は習近平国賓の話が延期になって以降、むしろ清々しい。

 

今は経済が断食に入ったと思えばいい。

水道や電気といったインフラはまず大丈夫だろう。

食を正そう。

御仏に仕えた分だけ食べる気持ちでいるとよい。

私もそうしていこうと思う。

尾畠春夫さんは米と梅干だったはずだ。

うちに師匠は貧しかった修行時代はめざしをよく食べたらしいので、私は煮干しを一日10匹くらい食べている。

激痛が反省に裏返るときが来るからそれを静かに待とう。

 

武漢肺炎は人類全体に対する覚醒であるが、日本はこれを契機に経済指標の意義を根本的に見直して、もう一度国土の強靭化を図るべきである。

おそらく20年はかかると思うし、その間に大震災が起きたりと苦難を続くはずである。

しかし、もてる智慧ともてる技術ともてる絆のすべてをかけていけば、必ず道はひらける。

 

人口減少で人がいないのではない。

正しい生き方を感じられずに閉塞感を覚えているだけだ。

大量消費して大騒ぎすることが楽しいという時代が終わりを告げたのだ。

ラジャスからサットバの時代に入ったといってもいい。

より精妙で高貴な魂でなければ、この先は楽しくない。