明治に日本の伝統を求めるのは間違いだ。
明治政府は西洋のキリスト教文化圏に注目し、さらに君主を頂くドイツを模範とした。
そして、明治憲法における天皇制は創設規定ではなく、万世一系の神話を前提にした天皇制である点に命があった。
一面それでよさそうにもみえるところが、やはり外国をモデルにして恣意的に天皇陛下を政治の中心に据えた点、明治憲法以下の基本法もまたすべてドイツやフランスからの輸入であった点など売国的行為とみる余地は十分にある。
実際、明治において日本の法文化は死滅したといっていい。
取締役は武家用語、懈怠責任の懈怠は仏教用語であるが、意味はすべて外国法によるものである。
日本の法律を学ぶといつのまにかローマ法やゲルマン法に辿り着いているのは、母法が外国法だからである。
普通の感覚としてこんなおかしいことがあってよいものだろうか。
ただ、人類の歴史という地球規模でみた場合には、ヨーロッパにおいてデカルトにより個人という概念が発明されて、それに驚いた各国は政治闘争中でその概念を練り上げた。
そして、ルソーにより社会契約説が唱えられ、それが海を渡りアメリカ合衆国の独立において実際に活用されるという大きな流れの中で、明治政府が日本の国力や国情を考慮した西洋列強による敗北一歩手前のギリギリの判断としてドイツに目を向けたという見方も可能ではある。
当時の日本は儒教の色が濃く、キリスト教的な人権論や個人主義とは一線を画すつもりはあったと思う。
しかし、いずれにせよ、国家神道を創設して神仏習合まで打ち壊し日本の伝統に回帰するようにみせかけながらも、実務においては西洋思想のもとに改革が推し進められたこと自体は事実だ。
もはや洋服を着るように自由主義や民主主義を語るが、以上のことは心にとめておくべきことである。
現代で問われていることは、正しさそのものである。
地球規模で文化の交流がなされる中において、起源を主張することはもうバカげたことである。
大切なことは正しさを実践できているかであるし、実践を通して正しさを示すことである。
したがって、場合によっては、外国人が日本精神を実践していることも十分にあり得るのである。