三島由紀夫の文章読本という本に、平安文学を担ったのが女性でありそれが日本文学の源流であること、また、日本男性の精神性は漢文化の流入に伴い洗練されていったとの趣旨の分析があった。
この分析によれば、日本男性の男らしさは外来の思想に依っているともいえる。
しかも、江戸あたりから儒教が政治を通して幅を利かしたので、なおのことと言えるだろう。
以前の投稿においても私は儒教を批判しているが、密教からすると、儒教は情に迷うもとである。これはアジア最大の弱点でもある。空海も別の視点から儒教を批判している。
日本精神を再興するためには、1000年続いた神仏習合の意義を思い返し(明治を除く)、日本の精神文化の源流には女性があることを思い出す必要がある。
日本においてはその歴史からすると女性が主役であるといっても過言ではないかもしれない。
私は神道には疎いが、おそらく日本がそもそも女神を祭る国であるということとも符合するだろう。(神道も素晴らしい。これは神社を参拝すれば分かるが、敬意を払うがゆえに多くを触れないようにしている。)
こうしたことを踏まえ、先に述べたように、男性は歴史を踏まえ自分の「男らしさ」の拠り所に気を配る必要がある。
特に儒教である。なぜなら、これが悟りの妨げになるからだ。
密教を前提に説明すれば、性エネルギー昇華の実践は、突き詰めていくと、六神通のうちの漏尽通のもとで行われる。
この神通は仏の教えのものでおいてのみ発動されるのだ。
したがって、決して中国の古代思想である儒教のもとにおいては発動されることはない。
孔子の論語のような程度の低い書物を読むと間違いなく人生が詰まるのはそのためだ。
きちんと理由があるのである。