最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

日本は生まれ変わっていく

自在の心で書いてみたい。

 

日本がまだどこか心で抱いている大国意識はもう捨てる時がきた。

これは例の2位でもよいということではない。

もう役に立たない経済指標にとらわれるなということである。

 

ハッキリ言っておこう。

貧しい国からくる外国人に日本人と同等の社会保障を維持する余裕をむしろみせてはいけない。

そこはもうがんばるところではない。

日本人がその国に赴いた時に同等の待遇を受ける保証があれば例外を考えてもよいが、そんな国はどこにもない。

多様性とは入国の自由ではない。

日本に来る外国人のほとんどは金目的の出稼ぎだと考えてよい。

真に永住する意思をもつ者などわずかしかいないのである。

彼らの日本滞在は煩悩による願望でしかないのだ。

これを足りない覚悟で人権問題にしてはいけない。

日本人はどこかで感謝の気持ちを彼らに求めてしまうはずなのだ。

だからはじめからきっぱり断ることが正しい。

日本はもういわゆる他から望まれるような先進国でなくてもいい。

 

我が子を抱きしめるように国民を大切にしてよい時代になったのだ。

 

日本人がすべきことはただ一つしかない。

それは努力だ。

これからはとにかくどこの国の人間よりも努力していくべきだ。

そしてこれからはその成果を見せびらかすことなく奥ゆかしくやっていく。

ただ技術を学びたいと願う外国人には教えることは控える。

精神性と技術が帰一していく密なる方向へ進むべきだ。

密なる努力は日本人しかできないだろう。

 

外国から軽蔑の視線がどれだけあろうとも、ただ己のなすべき努力を淡々と継続し続ける。

日本を愛し日本人同士の絆をただただ大切にし慈しんでいく。

教育は劇的に改善されるだろう。

そして地球に対して正しい行動をとっていく。

その結果、日本は願わずとも真の大国になっていってしまうだろう。

 

日本人は身内を愛しても利他へ向けていく性がある。

ここが外国人と決定的に違う。

彼らはただ家族と親族しかない。

彼らの涙は自然の情ではあるが、霊性はそこで終わりなのだ。

だから紛争が絶えない。

 

日本は低い次元と決別して本来のポテンシャルのもとに帰る時がきたのだ。

日本人に生まれたことは誇りに思ってよい。