ざまーみろと言ってしまっては悪口になってしまうが、中国の市場のために国民の誇りや教育を犠牲にしてきた連中である。
民主党政権の時には、企業が先にダメになってしまったら労働者の待遇はもっと悪くなるに違いないという論調があった。
企業が潤えば必ず労働者も潤うというトリクルダウン構想だ。
これが高名な学者の説でもあったので、多くの人が信じてしまった。
民主党が朝鮮党であったこともあり、日の丸を背負う日本の企業に託してみたくなる気持ちもあったと思う。
中国も当時は強くはあったがまだ途上でもあった。
それがどうだろうか。
トリクルダウンなど全く起きなかったのである。
円安基調で企業は利益をあげ株価も上がったが、その利益は外国人投資家のもとに流れ、また、労働者に還元されることなく内部留保に消えた。
結局、労働者は人件費というコストでしかなく、人材という資産として扱われることは皆無であったといっていいだろう。
また、それを不幸にも派遣法が追認し続けた。
正規と非正規を分けた雇用区分にさらに派遣が加わり、財界と政界による分割統治に多くの国民が苦しんできた。
海外に逃げ出す者ももちろんいた。
武漢コロナの影響が甚大であるから、経済の先行きは全くみえない。
ビザビリティーはゼロである。
リーマンショックなど余裕で超えている。
しかし、我々はここからである。
限られた環境を嘆き自らの未来を決めつけてあきらめてはいけない。
過去の失敗を十二分に踏まえて、新しい信念を生み出して挑み続けたいと思う。
日本はすでにアジアの新興国の豊かさは経験し様々なものを失っている。
それを知っていることが今の日本の宝である。
次世代を牽引すべき価値は、物質に依存した豊かさではない。
衣食足りて礼節を知るなどという思想に翻弄されているようでは2流である。
智慧の荘厳と福徳の荘厳は不即不離なのである。
この真理からはじめこの真理に戻るような新しい工夫が必要なのである。
そしてそれがどんな小さなことでも未来のためにしっかり育んでいきたいのだ。
育児や家事を甘く見ずしっかりこなし、人の生活を注意深く観察をし続けていれば、事の道理としていつか必ず本当の仕事の革新は起こせる。
この先霊性のある者には責任がある。
共にがんばっていきたい。