最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

行く末を明るくしていこう

効率を狙って本質から外れることが最も効率が悪い。

これはおそらく努力のプロセスにおける基本だ。

すこしずれているような人間でも実直な性格でさえあれば、正しい努力を重ねるうちに、天才が必要とされている分野でもない限り、ものになってくる。

努力の仕方というものは人間である以上それほどバリエーションがあるわけでない。

よく様々な考え方があるといわれるが、本当にそうだろうか。

思考のための順序というのはかなり限定されているように思う。

 

今日本人がすべきことは基本に戻ることである。

そして日本を二度と安売りしないことだ。

安易に外国人を受け入れる必要もないだろう。

密なる文化に憧れた者だけが入国できる神秘の国でよいのだ。

これが最も大事である。

 

年寄ばかりであるとか泣き言を言っていても仕方がないのだ。

年収がさがってきたのだから移民との競争に負けないチャンスであろう。

年寄を働かせればいいのだ。

ロボット工学を発展させて体力の不足分を補うような技術を発展させていけば人口問題も解決できるはずである。

(いやむしろ食糧問題やエネルギー問題を考えるならば、人口と国土の調和について再検討を加えることができる絶好の機会ではないか。人口減は悪いことではないかもしれない。)

 

何度押し戻されても自分たちの自律の為の努力をすべき時が来た。

数字をいじったり身勝手な外国人に頼ったり、チープな方法で大きなリターンを狙ってもその成功は長続きするどころか紛争を呼び込み結局マイナスの要因になるのだ。

今回のことで身に染みたはずである。

 

日本は内需を新たに作り直す。

国土を強靭化する。

派手なことはもういい。

経済指標の数値も経済学から見直すべきではないか。

おそらく学の方法論が間違っているのだろう。

 

規範論に携わる者すべては性エネルギー昇華の実践をし24時間仕事する。

なぜ文系の年収が理系より高いのか。

それは文系の職責が24時間であるからだ。

文系は生き方を誤れば仕事の実績そのものを失うのである。

文系の判断は全人格的判断である。

一方、理系やスポーツ選手はその仕事が覚せい剤をしたからといった理由ではく奪される関係にはない。

問われるているのは仕事の結果だけである。

 

これからの時代は、真の意味での智慧が要求される時代である。

数字だのエビデンスだなどと大声をあげる理系バカの時代はもう来ることはない。

今後は文理共通になってくるだろう。

文系は理系を志向し、理系は文系を志向するようになる。

枠組みとしての哲学では足りずもっと実践的な智慧まで到達が望まれるようになるだろう。

したがって、日本国民はすべて性エネルギー昇華の実践をしていくことになる。

 

日本人は最高である。

大丈夫だ。