最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

飲酒をしている余裕はないはずだ

まさかこの期に及んで飲酒などしてはいないだろうか。

マスクを外して晩酌ということならば矛盾もいいところだ。

霊性についてはノーガードとしかいいようがない。

飲酒は本当にいけない。

覚せい剤との違いは何か。

それは取り締まる法律があるか否かでしかない。

酔って他者に理想を語るなど最悪である。

飲酒は社会において許された危険されているだけである。

神仏からみれば、飲酒を習慣にしている者に覚せい剤をやった人間を批判する資格はないということになろう。

妄語を吐く者として扱われるだろう。

実際、飲酒の罪は大きいとされている。

 

新型コロナウィルスは人類に覚醒を促している。

物質主義がいかに無力であるかということを示している。

飲酒は霊性を曇らせる。

堕ちるのは本当に一瞬である。

それが不倫であったりするのだ。

ほんの魔のさした瞬間にあらゆる約束を人間は忘れてしまうのである。

そう、忘れてしまう。

飲酒と愛欲の根が結合すると性エネルギーは簡単に神仏の道から外れてしまう。

この恐ろしさはほんのちょっとした油断からくるのだ。

これは神仏の慈悲から自ら離れた人間の責任である。

 

しかし、今は新型コロナウィルスのおかげで油断すらできない。

これはむしろありがたいことなのかもしれない。

肉体はもともと苦しみの集まるところなのである。

その本質をしるものは、空をしり正しく修行した者は師を通して妙有をしる。

常楽我浄の世界である。

私は決してよい弟子ではないかもしれないが、いつも師を感じながら過ごしている。

それ自体のありがたさがある。

是非、それぞれの立場で後悔の無い信心信仰を深めていってもらいたい。

まず先祖供養からだと思います。

性エネルギー昇華の実践で直感を鍛えていってください。