最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

ご利益信心はいけない

困った時に神にお願いする。

これは最も大きな汚れに繋がる。

このようなご時世において神仏にすがりたくなるのは人情としては分かる。

しかし、自分の思う通りにならないことに対して腹を立てる傾向のまま神仏に願い事をすれば、その結果はまず恐ろしいものになる。

仏界、菩薩界を汚すような行いは因果の理法の結果として現れてくる。

宗教では菩提向上の方便として人の願いを聞き入れるところもある。

しかし、根本を見誤れば功徳はない。

そこをよくしっていく必要がある。

おそらく少なく見積もって9割以上の人がこの類型に入っているかもしれない。

 

秘訣は、神仏と共にある自分をイメージすることだと思う。

そして、実際に神仏と共にある。

孤独感がなくなってくるのが分かるだろう。

これが強烈な自己肯定感に繋がってくる。

ゆえに自殺はないのである。

幼児の頃のような無邪気さをもって神仏に手を合わせる。

世間の知識や大人の経験で神仏を推し量ろうとしないことだ。

このような祈りのなかにおいてはご利益信心は生じないのである。

ただ、神仏のその温かさに感謝があるだけである。

感謝のあるところの悪業は決して生じない。

ただ人として真摯に物事に取り組もう。

魚屋さんならば魚屋さんらしく生きればいい。

あとはすべて神仏にお任せ。

正しく信心信仰をする者は皆このように過ごしている。

正しい性エネルギー昇華の実践の実相でもある。