最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

始まっている

3.11の時とそっくりだ。

霊的な混乱が悲鳴のように響いてくる。

大気は澄み渡っているはずなのに、強烈な迷いの淀みの中にいるような気がする。

これは多数の者の無念さだ。

体調に影響する者もいるはずだ。

 

今の祈りだけででは押し返す分には通常足りないのだ。

3.11は私はそれで失敗した。

普段からの修練がいかに大切か。

武道の型の練習にようなものだろうか。

反射的に決め手を打ち出せるようにするためには日々の修練が不可欠だ。

欠かさない読経修行、欠かさない持戒、そういうものがこういう時に十全と黄金に輝く武具となる。

実際、今私を守ってくれているのはその功徳力である。

これこそが本当の結界というものである。

 

人が変調する。

まもとな人間は絡まれる。

そこで負けると自分も変調することになる。

ゾンビ映画のようなものだ。

肉体に頼らず霊的に強くないといけない。

客観的な状況は悪化するから、六感から七感までに惑わされないようにすることだ。

特に七識である因縁識は油断できない。

過去の苦しみや自分自身の弱点が認識を歪めて来るからだ。

 

祈るということがどれだけ過酷なことか分かると思う。

思っているとは違う。

祈りが深まるほどに邪も影のように押し寄せてくる。

新型ウイルス問題は前哨戦に過ぎない。

不動心の確立がこそが決め手となる。

まだ間に合う。