最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

戦争時代を魂を鍛えていくことで乗り越える

よく自由競争というが、本当に競争になっているだろうか。

競争というためにはルールが厳格に尊重される必要があるが、政府ですら公文書を書き換えたりする時代である。

大衆にはこのルールの重さがまだ理解できていないようにみえる。

理解されるためには貯金通帳の残高の改ざんというルール違反を個人的に経験でもしない限りダメなのだろうか。

 

ハッキリ言って民間はすでに戦争状態にあると思う。

競争ではなく戦争だ。

競争させることでモノやサービスの向上がはかられるということには、一面正しさを含んでいる。

しかし、それは競争のためのルールが適正に運用されていることが前提だ。

競争であれば適正価格というものはあるはずだが、今はどうだろうか。

恥を知らない資本家が非道な手段を用いて安売りをし、競争を偽装して市場を独占しているのが現状ではないだろうか。

 

詐欺一歩手前の嘘ばかりの世の中で、どんなことにもビジネスが張り付いている。

 

思うところはある。

しかし、そんな戦争状態にあっても、実直にやっていくことこそがこの世の宝となっていく道である。

うんざりしてあきらめていくことを悪魔は狙っているのだ。

自分の仕事には真心を込めていこう。一歩一歩だ。

そして、この世の法より如来の法に頼っていこう。

結局、正邪を見極めるためには己の魂を成長させていく以外にない。

無願三昧に入ろう。

神仏の祈りに近い生き方をしていくことだけが理不尽を乗り越えるための唯一の手段である。

きついが、それしかない。