最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

敵は作るな

信心や信仰をすると、今度はそれがもとで区別を作りやすい。

そのとらわれはよくない。

やっているんだ!という感覚は、もっとも身近にある罠のひとつだ。

これだけやっているのに、という感じ方。

損をしていくような感覚と表裏一体にある。

 

人生は呼吸と共にあるべきだ。

後にも先にもない。今だけだ。

まず呼吸を整えよう。

 

睨まれることはある。しかし、自分からあえて敵を作るようなことはしない方がいい。

なぜなら、隙が出来て諸々の事象への対応が遅くなってしまうからだ。

理解を得る事が出来ないこと自体は日常茶飯事であったとしても、それを恨みにしてしまうようでは本末転倒もいいところになってしまう。

無信仰の方がマシだったということにすらなりかねない。

 

信心や信仰をするならば、許すということをうまく理解していかねばいけない。

人生の目的を神仏と自分の関係に結び直すことで、様々な事件を人格を磨くための修行に糧と捉えることができるようになる。

そこから智慧が生じる。突破した分だけ道になっていく。

 

持戒としての性エネルギー昇華の実践が継続していると痛みも軽くなるようだ。

やはり攻防一体の戦陣といえる。

自他の区別のない世界を目指そう。