最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

教えからみた小室圭氏の振る舞い

小室圭氏のやるべきことは一つしかなかった。

単純に誠意をみせる。それだけのことであった。

具体的には自分で働いてお金を返すことだけだったのだ。

昼は法律事務所で勤務して夜に密かに土方のアルバイトでもしていれば国民の同情が集まったに違いない。

そういう行動は日本人なら心が動く。

皇室の方と結婚すれば、仕事は本当のところ準備されるだろうし世間並みの肩書も与えられるに決まっているのである。

そこは皆暗黙の裡に分かっていることであるが、小室氏はこだわってしまったのだろう。

 

彼が根本的に間違えたのはステイタスについての考え方である。

アメリカの法科大学院を卒業して弁護士になることが結婚の条件であると勘違いした点にある。

それが眞子様の夫となるにふさわしいと信じていたとしたら大変な不幸であるだろう。

ぶっちゃけ司法試験など眞子様と結婚した後に受ければよかったのである。

それよりもパラリーガルの仕事をしっかりやることの方が大切だった。

給料は安いかもしれない。

しかしそれが皇室の品位と何の関係があるのだろうか。

人生の美しさと何の関係があるだろうか。

中には法律事務所の事務員をバカにする者もいるだろう。

しかし、それはバカにしている者が何も分かっていないのだ。

 

この件については多くの国民の反対は正しい。

秋篠宮殿下は恥をかかされた。

私はそこに怒っている。

殿下は一言も稼ぎについて触れてはいない。

ただ性格の善い青年であって欲しいと願っただけである。

小室氏は実母を庇うあまりか自らの負けん気を満たすためか、殿下のその普通の娘を思う父親としての気持ちに応えることを一切していない。

これは何を意味するのか。

つまるところ、小室氏には家庭を持って親になるべき資質がないということである。

忍耐を自分のためにしか使えない人間は心が冷たい。

これは断言できることである。