しかし、皇室が憲法の個別の条項を自らのために援用することは皇室の自殺に等しいと私は考えている。
天皇を憲法的仕組みの例外として独立の章を設けた趣旨からすれば、皇室に人権規定は適用されないとすべきである。
それゆえに様々な特権が正当化されるのである。
ここが肝である。
つまり、確かに日本国憲法において認められた天皇制度であるが、その天皇制度はひとつの公法上の制度体として憲法的仕組みの例外として位置付けている以上、憲法の基本原理たる自由主義や民主主義という考えから直接皇室を語ることはできない。
当然男女平等といった平等権も同様である。
その帰結として皇室の歴史的事実としての伝統が時の政治権力から憲法上防御されそのまま保存されるのである。
しかし、女系天皇や女性天皇を容認する人々は、皇室に人権規定を適用しようとする傾向がある。
そのうえで皇室としての性格から人権を制限すると考えていくのだろうけれども、その制限は他の国民の場合と同じく必要最小限度でなければいけないわけであり、制限として合理性がないと判断された皇室の伝統は結果として尽く破壊されていくだろう。
その最たる例に今なろうとしているのが皇室の男系の伝統ではないだろうか。
ともあれ私は結婚には大反対である。
溜息しかでない。
誰か眞子様に略奪電撃プロポーズをしないだろうか。
感じのよい日本の青年ならばぞれでよいのだ。
眞子様、まだ間に合います。
幸せになって下さい。