最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

俊敏に動ける魂になっていく

年末あたりから学び直しということに重点を置いている。

大切だと思われるところを重点的にという形で行っている。

20年前に読んだ本から最新の基本書への架橋はとてもおもしろい。

もっとはやくから着手しておけばよかったとすら思っている。

 

時代が激変したとしても基本は変わらないという見込みがそこにはある。

言い換えれば、人間として出来ることはほぼ変わらないということだ。

そして実際に今のところ変わっていない。

 

ただ未来を志向する時、人間の生存が許される環境があることが前提としてある。

近年それが隠れた前提ではなくなった。

そして危機に瀕している。

故に希望を失いそうになる者もいるだろう。

武漢コロナにせよ、地震にせよ、台風にせよ、環境が人類を許さないということになれば、努力もおそらくは無に帰するだろうから。

 

しかし、私はもうそれでもよい。

 

学問とは魂の居心地の問題でもあるからだ。

本棚のどこに何を置くかということに似ているかもしれない。

今も机のまわりに雑然と本が積んであるが、これがよくない(笑。

迷いそのものだろう(笑。

本棚には目次の章立てのような美しさが欲しい。

決意が見えるではないか。

 

さて、魂を中心に据えれば、学問の価値は知識の量ではなく質である。

そしてその質というものは争点について決断した者しか得られない。

それぞれの品性に従って進むべき世界は変わっていく。

学問もまた宗教に近いようなところがあるようだ。

私は今学び直す中でやっとその決断を始めている。

居心地が少しづつよくなってきているのを感じるのだ。