最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

心根が問われる時代に入っている

よく行く個人経営の床屋がある。

武漢コロナの影響で客足が遠のいているそうだ。

来てくれるには来てくれるが間隔が空いてくるそうである。

経営が大変なのはどこも同じなので分かるが、少し残念な体験をした。

会計の時にスタンプカードをさらりと無視されたのだ。

いつものルーティーンではなかった。

たかだか500円なのでこのご時世こちらから遠慮するつもりでいたのだが、ちょっと驚いた。

ありがとうございますと頭を下げられたが、それは本音ではないと思われても仕方ない。

 

これが目先の小さな利益で転ぶということである。

苦しい時ときこそ原則は貫徹するようにしないといけない。

そこでがんばらないと人は去っていくだけでなく紹介も期待できなくなる。

頭を下げればよいというわけではないという好例である。

 

よくこれから消える職業が語られることがあるが、私は職業自体はどれも残ると思っている。

消えるのは魂の成長に関心のない者である。

人々が本当の幸福を求め始めているこの時にその波長に乗れない者には何も見えないのである。

商売のためにいろいろな本を読みいろいろな言葉を覚え使うようになれたとしても波長に乗れないから本当のニーズが掴めず自分が何をしているか分からないのである。

利益から物事を決め角を立ちにくくするために理想の衣をかぶせていく手法はもう時代遅れである。

商売も心根が問われるようになるのである。

 

仏道修行はやればやっただけ成果が出てくる。

目に見えない世界だからこそ明確な差がついてくるのだ。

まさに信心の功徳である。

しかし、まだまだその差に感嘆できない人も多いのが現実であろう。

救済していかねばいけない。