最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

暴走族などはかなりましな部類

先週、駅でタバコを吸っていたいきがった中坊二人組に注意した。

小声でチクチョーと反抗的な態度をみせていたが、悪い奴が悪ぶっているところに嘘はない。

最近は暴走族もだいぶ減ったようであるが、暴走したい奴が暴走しているのだから嘘はないのである。

 

一番よくないことは、利己心に満ちているのに利他を装うことである。

一見頑張っているように見える。

また結果として実害がないこともあるが、神仏の視点からすると最悪であろう。

世界を見渡してみると、むしろこの類型が多数といえるかもしれない。

意識せずしてそう装っていることもあるかもしれない。

私の見立てでは、この嘘のために今人類は滅びの危機に立たされている。

隠れたエゴのために見かけエールに反して正義が行き渡らないのである。

 

まず利己心に真剣に向き合う時期が必要である。

その意味では御仏に逆らう時期というのもあり得るだろう。

私も散々逆らった。

いい子でいようなどと思ってはいけない。

まず自分に嘘のないようにしていくことが先であるように感じる。

やりたいことはなんだろうか?

嫌なことは何か?

そして、人目を気にせずに全力でぶっ潰れるような経験をしないといけない。

これはかなり歳をとってからすることもあるだろう。

おそらくそれは普通のことだ。

 

しかし御仏の世界の自由度は想像以上である。

どんな生き方をしている人でも帰依されているのだから。

ぶっ潰れたような経験をすると教えを語ることに恐れがなくなる。

守る自我プライドがなくなるからだ。

変な人と思われることに抵抗すらなくなる。

教えと自分が同方向に重なるようになっていくのだ。

こうなってはじめて嘘がなくなってくる。

 

教えは道徳や倫理ではないと前の記事で書いたが、教えにおいて最もよくないことは自分に対して嘘をつくことである。

それは破るべき自我の無明の殻へ閉じこもることであるからだ。

やりたいことに全力になっている人をみたら少しその無邪気さには嫉妬した方がいい。

思慮深い大人びた判断こそが罠であることが多いと思う。