最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

消耗しないための心構え

その時々の中庸である。

健康な時は健康な時の行き方があり、病の時には病の時の行き方がある。

肉体の事柄はすべて無常である。

心の事柄もすべて無常である。

この本質をしっかりおさえて、一刻一刻を祈りに生きることが大切だ。

 

様々な性格をもった人がいる。

そして、人は関わりの中で生きていく宿命を帯びている。

表立って思う通りにはいかないのだ。

その苦の正体は何か。

そこを究明しなければいけない。

自分の正義が自分に跳ね返ってくることの痛みは覚醒の痛みである。

すべて捨ててしまえ。

愛着こそが無明のもとなのだ。

 

心の無い言葉を受けた時こそ己が試されている時である。

そこで動揺するならば、まだ迷いの上にあるということだ。

不遇の時こそまさに浄化の時である。

選択の時である。

そういう時こそ祈りをもって乗り切るのである。

怒りに任せる必要があることなど本当はないのである。

 

これからの時代、軽く扱われることが増えるだろう。

多くの人が余裕を失っていくからだ。

七識に囚われてはいけない。

それは自分の正義に固執するということである。

自分の正義とは自分の生い立ちに等しい。

しかし、そうではなく神仏の法に目覚めていこう。

そうすれば、許す勇気が湧いてくるからだ。

 

自分も他者も許していく道があるのだ。

それもまた神仏の道である。