最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

足るを知る

身の回りの物に感謝だ。

まずは普段から何気なく使っている物に。

新しくて綺麗というのは、これは当たり前である。

しかし、古くても小ざっぱりしている物には栄誉が宿っている。

物を大切にする。

これも基本中の基本であった。

 

生き様が見えやすい。

これはむしろありがたいことである。

先日、イタリアの神父が医療器具を若者に譲った話がネットにあった。

この神父の生き方は窮していただろうか。

私にはとても豊かにみえる。

こういう選択ができる人がいることは希望だ。

中国の武漢においても他の為に散った医師がいたが、年若くとも他の模範になる美しい一生であった。

 

やはり魂を磨く方法は一つしかない。

それは利他行である。

他の為になることを先にし自分のことは後にする。

それが微塵の打算もなく行えた時に太陽のような輝きが発せられるのである。

その光が本当によく見える。

命に感謝である。

命があってこそ感じられることばかりである。

 

感謝で満たす。

今すべきことはこれである。