秘めた目的を持って行動している者たちがいる。
世の中には想像を絶するほどに強かな者がいる。
いつ何時そういう者と対峙するか分からない。
だからこそ、十分に準備していざという時に備える必要があるのだ。
憲法学者でも本音は共和制を望んでいる者もいる。
こういう本音は場末の講演会などでチラッと見せることがあるが、著書などからは分からない。
公平を装っていることに気付けないことがリスクである。
他人の論評をあてにすることなく常に条文を読むようにしたいものだ。
朝日新聞はここ十年くらいで完全に正体が暴かれてしまった。
専ら外人のための新聞社であったということだ。
最近では隠す気もないらしい。
堂々と武漢コロナで中国を擁護している。
ここまできたら記者の国籍を明示した方が記事の説得力が増すのでは?
昔は戦後的なリベラル左派的な社説がインテリ受けしていたが、今ではもう見る影もない。
戦前も戦後もただただ国民の感情を煽るという離れ業で自滅した。
立憲民主党も一貫して少数者の保護しか頭にない。
少数者の保護からしか立憲主義を語らないから、権力を担うための基礎体力がないのである。
おそらく国政全体について知恵を巡らしたことなど一度もないのではないか。
どんな時も体制の批判しか出来ないのである。
結局、朝鮮政党であったということで納得するわけなのだが、こいつらが関わるために日本の国政において真に価値のある議論が穢されていることは由々しき事態である。
自民党も中国政党に成り代わる危険性を二階と安倍首相が示してくれた。
私はもう信用していない。
正統保守はすでに自民党を完全に警戒しているはずである。
物事を認識する時には、個人に還元するものと社会に還元するものとで慎重に切り分けないといけない。
仏教徒なのに時々過激なことを書くと思う人もいるかもしれないが、それが可能なのは、社会に還元できるものを対象にしているからである。