子供が自分に懐くのだろうか。
最初はそれが不安だったのを今でも覚えている。
しかし、産まれたばかりの子供が自分の指をギューと強く握った時に全身に電流が走ったが如くに胸が震え涙が自然と流れてきたのだった。
おそらく同感してくれる方は多いのではないだろうかと思う。
小さな自我を超えた感動だった。
極愛一子という言葉がまさに相応しい一瞬だったと思う。
オムツ替えから食事の世話、入浴まで出来る限りすべてやってきた。
3歳になってからは保育園だったが、私は延長保育の権利を放棄して育児優先の仕事に挑んでみたりした。
「子供の迎えに行くので」というフレーズを仕事に許したのだ。
客先に子供を連れて行ったりすることもあった。
それで仕事がダメになったりするようなことはなかったしむしろ会話が弾んだように思う。
今でも料理は時間が許す限りやる。シングルファーザーの方には頭が下がる思いだ。
実際に作って食べさせてやる。
子供に微笑みを送ることなど誰でも出来ることなのだ。
作った料理を子供がおいしそうに食べる。
この体験をすれば母性本能などないことが必ず分かる。
男でも育児はちゃんとできる。その気になっていないだけなのだ。
晩酌をするようでは育児の時間は作れない。
だから家で酒を飲む習慣のある男はダメな男だと断定して間違いない。
その男はただ稼ぎという金に支えられているだけだ。
また、外では偉そうにイノベーションなどという言葉を使っていても、家事育児のできない男に生活を革新ができるはずがないであろう。
日本に優れたソフトがないのも頷けるというものだ。
母親との役割分担ということにこだわると自我がでて失敗する。
あいつはやらないという気持ちが出てきやすい。
すべて自分の人生のことだと腹をくくることが大切だ。
意識を根元から変えていく。
縦に一本しっかりとした線が入るような心境になると、それが性エネルギーが通る道になっていく。