最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

紙一重の差を大切にする

性的な節制がいかに大切かということをニュースで思い知る一週であった。

 

俳優や女優はイメージを売っているので、そのイメージに反した行動をしてしまうと責任をとる必要が出てくる。債務不履行責任のようなものだ。

倫理に反したからという理由だけで責められているわけではない。

イメージを売る人が高給である根拠は、社会から自分の日常を隠すために多額の経費が必要になるからだろう。

いい職業だろうか?私は全く羨ましいと思わない。

 

ともあれ、性的な節制を崩す原因になるものは、酒だろう。

私も若い頃は酒で失敗したことはある。

すべてが嘘になってしまった。

今でも油断をすれば失敗するかもしれない。そう思うからこそ酒を飲まないようにしている面はある。一種の武装であるともいえる。

お釈迦様ですら、悟りの最終局面における壁が美女であったくらいに、愛欲の根というものは奥深いものがある。

性エネルギー昇華の実践をすれば、それは痛いほど分かるだろう。

結局、実際は、煩悩即菩提という道しかないのだ。

凡夫は当面地獄の火口を直視することの反作用を推進力とするしかない。

気の小さい人間が飲酒をして気を大きくするとその地獄を甘く見積もっていまい失敗するのだ。

 

性エネルギー昇華の実践の実践をしても、それが雑な生き方の上にあったならば、性エネルギーの出口である目標が見えにくくなるのが早くなる気がする。

もっと観察を深めて精妙なものを目指すようにしたい。

紙一重の差を大切にできるかどうか。

聴法の因縁勢力を味方につけながら、行を通してチャレンジしていくしかない。

 

性エネルギー昇華の実践合同演習15日目無事達成。