大気が澄み切った早朝は性エネルギー昇華の象徴的な時間だと感じる。
経典に書かれていることは人類の叡智という狭いものではなく宇宙の叡智なのだろう。
読経をし、掃除をする中で瞑想するのが私流だ。
言葉や行動の節制は見える分だけ容易い。
しかし、思考の節制というのは、見えない分だけ底力が必要だ。
思考、すなわち意が整わなければいずれ言葉や行動も乱れるだろう。
性エネルギー昇華の実践共同演習4日目を無事に達成。
日数は問題ではない。
身体が軽く、尾てい骨あたりから静かで温かく明るい意識が上昇するのを感じる。
子供の頃の陽だまりの時代が蘇ったような感覚だ。
気を付けたいのは、この心地よさはゴールではない。
これで終わってしまったのならば、ただの利己に過ぎないからだ。
聖賢古賢は、ここから自己を滅する勢いで躊躇なく利他行に進む。
この過程で様々に傷つくことこそ本来の瞑想だろう。
ただし、正しい修行には必ずご加護もある。
傷つきながらも最も安心できる道が大乗行である。