最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

これからの時代の修行のあり方

仏教本を読んでいて思う。

昔の寺院はそれこそ地主でもあったり時の権力者から帰依を受けたりと事情が今とは全く違うのだ。

率直に言って生活の心配が庶民に比べると格段に少なくて済む場合が多いのではないだろうか。

そこが隠されている。

有名な寺の坊主の修行の書が歴史的価値を持つものとして残されているわけであるが、今の私にはその多くはインテリの書くらいのインパクトしかない。

学生時代はグッと惹きつけられたが、今は教養でしかない。

 

現代の寺院の坊主で戒律を徹底している者はどれだけいるだろうか。

教えを説いて布施を受けているということに対して十全の責任を果たしている坊主はどれほどいるだろうか。

ここが肝心なのだ。

歴史的権威で語られても感動できない時代に生きている。

どれだけ尊い経典でもあってもそれを語る者に相応しい実践がないならば誰も聞く耳を持たない。

現代とはそういう時代である。

いや、相応しい実践があっても非難されるのが現代である。

 

世界中の民衆が生活に苦しむ時代において宗教家の果たす役割はもうただ一つである。

相応しい実践以外にないだろう。

それはもうただ教えを言葉で語るというだけでは足りないということを意味する。

人々の帰依所となるような生き方に徹することを求められるのである。

そして、これからの時代はどれだけ山に籠ろうが滝にうたれようが解決できない課題が山積していくのである。

それに向き合えないならば修行する意味などないように私は感じている。

 

 

 

 

 

 

日本は生まれ変わっていく

自在の心で書いてみたい。

 

日本がまだどこか心で抱いている大国意識はもう捨てる時がきた。

これは例の2位でもよいということではない。

もう役に立たない経済指標にとらわれるなということである。

 

ハッキリ言っておこう。

貧しい国からくる外国人に日本人と同等の社会保障を維持する余裕をむしろみせてはいけない。

そこはもうがんばるところではない。

日本人がその国に赴いた時に同等の待遇を受ける保証があれば例外を考えてもよいが、そんな国はどこにもない。

多様性とは入国の自由ではない。

日本に来る外国人のほとんどは金目的の出稼ぎだと考えてよい。

真に永住する意思をもつ者などわずかしかいないのである。

彼らの日本滞在は煩悩による願望でしかないのだ。

これを足りない覚悟で人権問題にしてはいけない。

日本人はどこかで感謝の気持ちを彼らに求めてしまうはずなのだ。

だからはじめからきっぱり断ることが正しい。

日本はもういわゆる他から望まれるような先進国でなくてもいい。

 

我が子を抱きしめるように国民を大切にしてよい時代になったのだ。

 

日本人がすべきことはただ一つしかない。

それは努力だ。

これからはとにかくどこの国の人間よりも努力していくべきだ。

そしてこれからはその成果を見せびらかすことなく奥ゆかしくやっていく。

ただ技術を学びたいと願う外国人には教えることは控える。

精神性と技術が帰一していく密なる方向へ進むべきだ。

密なる努力は日本人しかできないだろう。

 

外国から軽蔑の視線がどれだけあろうとも、ただ己のなすべき努力を淡々と継続し続ける。

日本を愛し日本人同士の絆をただただ大切にし慈しんでいく。

教育は劇的に改善されるだろう。

そして地球に対して正しい行動をとっていく。

その結果、日本は願わずとも真の大国になっていってしまうだろう。

 

日本人は身内を愛しても利他へ向けていく性がある。

ここが外国人と決定的に違う。

彼らはただ家族と親族しかない。

彼らの涙は自然の情ではあるが、霊性はそこで終わりなのだ。

だから紛争が絶えない。

 

日本は低い次元と決別して本来のポテンシャルのもとに帰る時がきたのだ。

日本人に生まれたことは誇りに思ってよい。

 

敵の正体が分かった以上戦い方は必ずある

トランプ大統領は、ある意味、目的を達したのではないかと思う。

それは、アメリカ国内にいた本当の敵を炙り出したことには間違いなく成功したからだ。

トランプを支持した8000万人の目が今後のバイデン民主党を監視し続けることになる。

おかしなことをすればアメリカは分裂する。

テキサス州などは本気だろう。

 

中国共産党が背後にいたことは党派を超えてアメリカ人には知れ渡った。

アメリカのイスタブリッシュメント達と中国共産党の秘密の蜜月関係はトランプ大統領の策により崩壊したのだ。

例えるならば不倫がばれたのようなものだ。

これからは証拠隠滅のための責任のなすりつけ合いが始まるだろう。

この時ばかりは左翼の女々しい性質にむしろ期待したい。

そして共倒れを私は望む。

 

共和党も中国との関係が深かったという点が今回の選挙の誤算であったが、しかし、選挙で負けたとしても、それは不正選挙に負けたに過ぎない。

不正選挙に負けたのだから、悔しがる必要も本当はないのかもしれない。

じきにトランプ支持者たちもこの点に気付くだろう。

彼らは実質勝っている。

そしてイヴァンカで次必ず勝てる。

 

日本は武漢コロナとアメリカ大統領選挙のおかげで真の敵が暴露された。

まさか自民党の幹事長が本当に主犯だとは誰も思っていなかった。

保守層がトランプに期待したのは、彼のアメリカファーストが日本の独立に都合がよいからであった。

今後はどうなるか。

トランプ大統領の功績によりアメリカ国民が中国共産党により挑戦を受けていることを自覚した以上、今後も反中路線は継続されるだろうと私はみている。

この点については首の皮一枚繋がったといえる。

ただし、アメリカが国内分裂の火種を強く残している今、この戦いに彼らが勝てる保証はかなり低くなっていることもまた事実ではないかと思っている。

私は日本は急ぎ核武装するべきだと真剣に考えている。

核ミサイルを潜水艦に搭載してみえなくさせるのだ。

強力な核抑止力とその運用を可能にするため厳格な出入国管理行政を構築することが今最も我が国に求められていることだと思う。

これこそが憲法上の観点からの措置である。

 

これからの時代は自分自身の人生における意思をしっかり持たねばいけない。

また自分を取り巻く社会についても責任を持たねばいけない。

どのような人間が隣にいるか分からないからだ。

あえて武士という言葉を使ってもよいかもしれない。

凛としていくべきだ。

たとえば日本国内で日本を壊すために政治活動を行っている外国人をみたら出入国在留管理局に通報するべきである。

そのような現代的な行動が大切になってくる。

アメリカ合衆国終焉の日

トランプ大統領ツイッターが凍結され終わりが近づいている。

私は控えめにトランプを支持してきたが、その趣旨はアメリカ合衆国の民主主義やその核心である自由主義に期待したからである。

しかし、その中枢がダメになっていることが今日判明してしまった。

バイデン民主党の不正が明らかであったにも関わらず、それを見て見ぬふりをするイスタブリッシュメントがあまりにも多いことに驚きと悲しみを感じている。

 

バイデンか本命のカマラがこれから必ず一つのアメリカというワードを出すはずである。

当然それは嘘でしかない。

アメリカの精神は今日完全に分裂したと私は感じている。

私はもうアメリカ合衆国自由民主主義の旗手として尊敬はしていない。

ただ、アメリカの選挙不正に異を唱えて行動された方々に敬意にを表するのみである。

この政治的状況において異を唱えらえれることは後ろめたさがない証しであろうから。

 

やりすぎなければいい。

黙っておけば分からない。

こういう精神態度は人間を徐々に蝕んでいく。

アメリカにもともとある拝金主義的傾向が利用され、イスタブリッシュメント達をすでに巻き込んでおり、もう道徳的に引っ込みがつかないところまで堕ちてしまっていたということなのだろう。

いかに自分の正体がばれないようにするか、関心はそこにしかないのだと思う。

深い紺色のスーツを身にまとい堂々とスピーチをする。

見た目は清廉潔白のようにみえる彼らであるが、それはもう職業上のただの建て前に過ぎないのだろう。

空虚な主張。

私の霊感にはそう映っている。

 

日本もアメリカと同じ様な状況にあるのだろう。

政治は結果とか勝てば官軍とか言葉ではもう誤魔化し切れないところまできている。

人心が政治からどんどん離れている。

軽蔑され始めている。

武漢コロナ対策を通して政府の本音に大衆が気づき始めているからだ。

政府が権力者として国民を扱うときに中国共産党に手法に憧れすら抱いていそうな気配すら感じる。

既成事実に弱い日本人に抵抗する力があるのか、将来はもう分からない。

ただ、長いものに巻かれている者達とそうでない者達に分かれていくだけであろう。

 

大変な時代になっていくが、私は私の修行をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の汚れを取り除き緊張を解いていこう

 

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病気の原因はおそらく怒りや憎悪が大半だろう。

それを長く心に秘めておくから心身を病む。

霊力を鍛えるに当たっては、この怒りや憎悪から離れなければいけない。

多くの感情を学ぶことは大切なことであるから、後悔する必要はない。

しかし、前へ踏み出すことに対して長く戸惑ってはいけない。

前の記事でも書いたが、一言気持ちよく挨拶するだけよいのだ。

特別な行に頼ればこじれるだけである。

普通の方法でいこう。

相手がその挨拶に対してどう思うかは全く問題ではない。

自分が真心を込めたという一事が大切なのである。

それがほどけていく第一歩である。

 

怒りや憎悪にとりつかれると動きが速くなることがある。

せき急ぐとでも言うべきだろうか。

ひとつひとつ確認するようにゆっくりとしかし確実に動くべきだろう。

イコライザーのマッコールの動き方は理想的である。

また実際に私の師もゆっくりと話される方であった。

つい早口になってしまうときは確かにあるが、可能な限り気持ちを込めつつゆっくりと確実に行動した方がいい。

要らない緊張もほぐれるし何より疲れにくくなる。

 

心を硬化させないことが武漢コロナ対策にもなる。

心を盛り上げることを考えてはいけない。

その逆である。

これが秘訣だ。

心をより落ち着けることを目指す。

水に沈んでいく香木のように。

今日は私がよく使っている曲を紹介したい。

私は浮ついた時には必ずこの曲を聴いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉ではなく霊力を高めていく

乾いた言葉で他を説得する時代は終わりを迎えつつある。

そのペースが速まっている。

メディアや政治家がいかに美辞麗句を並べようとももうそれを真に受ける者はいなくなる。

もう騙されない。

明日、アメリカで起こることは無視できない。

未来の方向がさらに見えるようになるだろう。

 

グローバリストの策にすっかりはまっていたことがここ一年で完全に暴露された。

さかのぼれば明治維新にもその痕跡がうかがえる。

戦後はただただひどい。

司馬遼太郎はもしかしたら間違っていたかもしれない。

現を抜かしていた時間は長かったといえるだろう。

 

多様性とか多文化共生とかいった言葉を悪用され経済や思想による侵略を受けていたということが事の真相であったのだ。

自虐史観もそういう文脈で語られてきたように思う。

個人主義という言葉ですら彼らは侵略のために悪用したのである。

 

ではグローバリストの何がいけなかったのか。

それはただひとつである

言っていることとやっていることが違うということに尽きる。

美しいことを言って冷酷に切り捨てているということである。

彼らは正しい言葉達を盗み奴隷にし殺してきたのである。

人としての言葉を必死に語ろうとする者から財力や地位をもって大義を奪い去った。

貧困と理不尽を大量生産しながら誰も反駁できないような言葉を並べてきたのである。

 

グローバリストが使う言葉達は今や犠牲者のようなものである。

そこに気付くべきだろう。

グローバリストが盗んだ言葉達を霊力をもって救い出す時がきたといったよい。

個人主義といっても私が使う時とグローバリストが使う時ではもはや別物といってよいのだ。

 

悪徳グローバリストに立ち向かうためには、霊力を高めていく以外にない。

満ちた霊力が言葉に命を吹き込むのである。

新しい始まりはそこから起こるのだ。

 

 

 

 

 

 

霊感が強い者ほど挨拶を大切にするべき

苦手な人に声をかけるという実践を今年から始めている。

荒行である。

そして、心をよく観察して落ち着きの中に住することを目指す。

やはりこの修行こそが修行と言い得ると私は思う。

山を走り回ったり冷たい滝にうたれたりすることも大変だとは思う。

しかし、その苦しみは都市に生きる者の日常ではあまり役に立たないと私は考えている。

 

霊和解である。

修行はそこに向けていかねば実は得られない。

ただひとり座して瞑想をしていても自分の気分がよくなっているだけでは意味は少ないのである。

性エネルギー昇華の実践はこの霊和解にはとても向いている。

自分の感じ方をよく観察して苦手な人間が本当に悪い人間なのかを見極めるに際してとても有効である。

身近な人間が苦手ならばそこは今生の課題であるから絶対に取り組まねばいけない。

逃げ出せば必ず後悔するだろう。

 

和解と言っても仲良くなれというわけではない。

しこりを外すだけでいい。

穏やかな時間を少し共有できればたいていの場合は外れるのである。

その時間を智慧で創出するのだ。

外れたならば必要な距離を保てるはずである。

 

霊感のある人ならば分かると思うが、受けやすいことは弱点でもある。

この弱点を克服するためには外すための努力が必要になってくる。

疎遠にすることでやはり外しにくくなる。

むしろ積極的にアプローチをすることがよい場合が多い。

これは経験上言える。

普段の行動を規律できたとしても人の宿命かどうしても3次元的な粗雑さからは逃れられないものがある。

不可抗力的に人間関係に微細な亀裂が入っていることがある。

時折挨拶をすることはその修復にとても役に立つことがある。

修復できればしこりは必ず外せるのである。