土光敏夫氏の生き方にグッとくるものがある。
そして参照しやすい。
社会に訴えんとするものは、かくの如くあるべしというところではないだろうか。
めざしの土光。
これこそ本物の武闘派の生き方である。
どこに隙があるか。
読経と掃除で魂を律し、社会を即道場とし、学びを活かし社会に貢献していく。
その場合、土光氏に学ぶことは、社会は豊かにという視点であった。
つまらぬ嫉妬がそこにはなく清々しいではないか。
私は賛成である。
日本社会の未来のために働いていくためには、個人は質素でよいという初めの決断が重要である。
しかし、社会は豊かに。
ここに至ってその決断が実るのだ。