食欲、睡眠欲、性欲とある。
基本的な3大欲求だ。
そして、それらに関連して派生的に様々な欲求が生じてくる。
さらに、それらの充足に上にさらに新しい欲求が芽生えてくることもある。
承認欲求などがそうだ。
少し満たせばまた欲しくなる。
これの連続なのである。
すべて肉体的な本能的なもの、自らに集めてこようとする欲求である。
苦に関する原始的な観察によれば、四苦八苦である。
生老病死、そして、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦である。
そして我々は、八正道をもって克服するのだ。
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
以上は各々一度意味を調べておくと役に立つはずである。
さて、運命を変えようとした時に、過去の因縁勢力が変わろうとする自分に襲いかかってくる。
しばらく耐えることが大切になるだろう。
まず、私の体験からいくと、簡単なところでいけば、禁煙だろうか。
私は30歳でやめたが、何度も失敗したことを覚えている。
酷い時はニコチンガムを噛みながら煙草を吸っていた(笑。
しかし、社会が禁煙の方向へ向かっていたこともあり最後はやめることができた。
あれだけ欲しいと思っていたタバコが全く欲しくならないという体験は、仏の教えを学ぶ上でとても役立つものとなった。
そして、37歳で酒をやめた。
この難易度はまずまず高いと思われるが、タバコと全く同じである。
ただ、社会が飲酒を許容しているので、自分の意志に頼る部分が大きい。
宗教が禁酒をするのは、経験から生じた智慧であると思う。
飲んで気持ちよくなると気が大きくなる。
少しくらいならばよいかという気持ちが生じやすくなるのだ。
近くに異性がいれば、つまらない覚悟が生じて失敗しやすくなるのである。
適当なことを言って信頼を失い、さらに散財する。
刹那的な快楽と引き換えにまさに典型的な無常の苦しみに陥るのである。
酒をやめれば、寝つきもとてもよくなるし、体や心の活力や柔軟さを維持しやすい。
そして、仏の教えを学ぶからこそ、その健康も尊くなり、酒を飲まないことが普通になってくるのだ。
こういう展開を私は経験している。
修行が進んでくると、タバコとか酒といった物質的なものから意識的なものにステージは移っていく。
それが、怨憎会苦や愛別離苦だ。
会いたくない人に会う苦しみや愛する人と別れる辛さといったものである。
他にも様々あるだろう。
ここは目には見えない分だけ智慧が明らかになってこないと解決は難しい。
戒定慧もこの解決に向けられているといっても過言ではない。
ともあれ、人生はとても厳しい。
したがって、すべてを同時に順調に仕上げることはほぼ不可能である。
本質をよく観察し、ひとつひとつ掃除と整理整頓を重ねていく以外に道はない。
たとえば今日から禁酒をしようと決めた人は、他のことが若干手薄になることは気にしない方がいい。
禁酒が成功したといえるためには半年くらいは必要だが、その半年を乗り越えることは本当に価値があるからすべてに優先してもいいだろう。
常に3つのストレスを同時に相手することがないようにしよう。
禁酒以外に相手できるのはあと一つだけだ。
そして、その一つはたいてい仕事か勉強になるはずだ(笑。
禁酒で苦しい時は、少し食事で贅沢してもよいし、少し多く眠ったりする。
これでいい。
半年乗り越えてしまえば、なぜ飲んでいたのか逆に分からなくなる。
必ずストレスではなくなる。
そこまできて初めて性エネルギー昇華の実践もやりやすくなってくる。