最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

凄い雨だ

不妄語戒を設定すると披歴した途端に、心に激変が生じている気がする。

負ければ、もう一度ということになるだけだ。

ねじくれた信心にならないようにしていきたいのだ。

他から見ればただの意固地でしかないような生き方は、おそらく間違いだからだ。

たいていの人は、善悪を奥深い感性を使ってきちんと捉えてるもの。

そこを師と感じ取るようにし、対人関係を謙虚なものにしていく方がいい。

すみませんとありがとう。

この二つを魂がきちんと使いこなせるようにしていかねばいけない。

宗教的な行にも意味はあるのだろうと思う。

しかし、それはおそらく公式集のようなものに過ぎない。

公式を使いこなすことが人生の目的なのだから、都市で暮らす我々には我々の行き方があると思う。

ヒマラヤの行者に負けない精進をしたい。