あいつは掃除をしないと嘆いている人は多いと思う。
世の中には周囲の汚れを意に介していない人もいる。
しかし、掃除は自分のことだということを忘れてはいけない。
人が掃除をしようがしまいが、それは自分の人生にとって関係のないことだ。
あまりに片付けができていなくて、すべてやることが出来ないこともある。
そういう時に腹立たしい気分になりやすいが、答えは簡単だ。
時間を決めて自分の出来る範囲でやればいい。
掃除が大事といってもそれは魂を磨くという意味においてだ。
物理的に埃がひとつも落ちていないということは実はたいしたことではない。
それはひとつの結果でしかない。
掃除した空間がきれいな部分とそうでない部分があったとしても気にしないことだ。
またやればいい。潔癖症とは違う。
掃除をして心の邪気を払うための基礎をつける。
それはどんな種類の人間が周囲にいようが暖簾に腕押しといった心境に高めるためだ。
そのための機会を掃除が与えてくれる。
アホはいる。お釈迦様も闡提というアホを想定されている。
アホに関わっていはいけない。
関わってはいけないというのは力んでそうしろという意味ではない。
暖簾に腕押しという感じに受け流せということだ。
そして、自分自身がそのアホにならないように、掃除しよう。
掃除はイロハのイ。基本中の基本の修行だ。