最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

すべては己を律してからだ

他人の失敗をみて責めることは簡単だ。

しかし、己を振り返ったときに、ちょっとした油断をどこまで許してしまっているか、よく観察した方がいい。

たいていの場合、自分自身も同じ穴の狢だ。

金儲けの話を聞いて希望を起こし、貧乏の類を聞いて嫌な気分になる。

こういう心の動きを容認しているうちは、何かの縁があれば、悪に転落するだろう。

批判を恐れるがために口を閉ざす。

こういう心は何も生み出さず、自分を守っているだけであるから誰からも信頼されないだろう。

 

信念と行動が可能な限り一致するように努めるしかない。

昔のように権威さえあれば世の中が渡れるほど甘くない。

これは個人という概念を発明してしまった人間社会の報いともいえる。

 

思えば、お釈迦様ですら、最後の瞑想の難所は、美女であった。

世間は不倫で騒ぐが、人間である以上愛欲の根は深く張っている。

不倫の清算ができる力のない貧乏人が嫉妬の感情から騒いでいるだけという可能性の方が高いだろうが、かなり修行を積んだ人でも一歩間違えれば失敗する。

 

自分を律する努力を怠ったらお終いだ。

毎日変化する中で生きているのだから、余裕なんてない。