最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

社会がよくなるとはどういうことか

何度失敗しても新たな努力次第で自分の世界を変えることできる社会。

これがよい社会だと思う。

そのためには、健全な政治道徳が社会に満ちていないといけない。

どれほど巧みな法制度があったとしても、健全な政治道徳に支えられていなければ絶対に機能しない。

やはり民主主義が大前提だ。

強制された道徳は道徳ではないからだ。

富は公正に分配されている必要がある。福祉も大切だろう。

そして、国民による共同体としての政治道徳に支えられた自由主義だ。

 

思えば、一部のエリートによる自由主義の説明は、ほとんど一般人に浸透していない。

無論、彼らも国民の一人ではある。

しかし、彼らは大学の単位認定権や各種国家試験の支配を通して、いわば権力的にその概念を一方的に国民に押し付けている感がある。

要するに、権力者のような振る舞いを通してしか一般人とアクセスできていない。

権威を前提にして説得できるほど大衆はもう純心ではない。

しかも、近年は、懐疑論の方向についてのインテリジェンスだけは向上している。

学者の名前を持ち出したところでほとんどの人は何も思わないだろうし、信じない。

 

ただ、辛うじて救われたのは、香港の大衆のおかげである。

自由を失うということがどういうことを帰結するのか、真剣に考えるきっかけになったはずだ。

甘くない見通しに挑んでいかねばいけない。

当然、武力の問題を避けて通れない。

なんのための武力か。それは政治的な自由のためだ。

健全な政治道徳というものは、個々人の善がよりよく発揮された結果としてか見えてこない。

お互い真剣に日々を過ごしたい。